土佐錦 河邉改治氏 2015年 B
イトメの管理
河邉さんはイトメを自分で採集しに行く。そして、採集したイトメを飼育管理しながら、当歳魚の餌として使っている。
普段の様子
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フタを開けるとこのような状態。イトメが赤く見える。
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中の構造
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中の構造
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河邉さんはイトメに毎日必ず、餌を与えている。“イトメに餌をあげる”ということ自体、私は今まで全く考えたことも無かった。
「イトメみたいなこんな細くて小さい生き物、食べるものがなけりゃすぐに弱って死んじゃうでしょ。ちゃんと餌やらなきゃね。」と教えていただいた。
なるほど、確かにミジンコやワムシは増やすのに植物プランクトンなど何かしらのエサを与えている。いくら小さいといっても彼らも生物であり、毎日栄養を摂取して生きているのである。イトメだって同じ生き物で、あんなに細いけどちゃんとウネウネして動いてる。
河邉さんがイトメに与えている餌は粉ミルクだ。茶漉しで溶いて、溶いた液体を入れる。普段は井戸水をかけ流してエアレーションを強めにして管理しているが、エサを与えるときは井戸水は止めてエアレーションだけにする。2時間程度経過したら、掛け流しを再開する。こうやって管理すれば、少なくとも2週間は平気でもつらしい。お米のとぎ汁をエサとして毎日入れたりするのも良いそうだ。
ちなみに、河邉さんはイトメが採集できる場所を10箇所以上把握しているそうだ。その10箇所を順繰り、イトメの増え具合を見ながらうまく使い回している。採りすぎると、十分に増えるまでに時間が掛かるから、決して取り過ぎないように注意しているとのことだ。
川の幅や、流れる水の量によってイトメの繁殖スピードは全然違う。水温によって自然環境下のイトメの散らばり方が違うというのも面白い。取っちゃいけない時期に取るとダメで、ちゃんとその生息場所で殖やしながら採集することが大事だそうだ。ちなみに今回採集した場所は6年ぶりに使えるようになったところだそうだ。
イトメ採集場所の1つ |
何も考えずに川を探してみてもイトメが群れて湧いているところはなかなか見つけられない。どういうところにイトメが湧くのか。河邉さんは確実にそれを把握している。そして、持ち帰ったイトメを管理するとき、イトメが湧いている場所をイメージしてイトメが快適に生活できるような環境を再現している。
流れる水の量やスピードは速すぎず多すぎず、イトメがその場にとどまっていられるスピードで。川では十分な量の酸素を含む水が常に流れ続けていて溶存酸素量は常に高めだから、きちんとエアレーションをしてやる。暗いところを好む習性があるから、木のふたをしてある程度暗くしてやる。
持ち帰ったイトメは、泥や落ち葉などのゴミと分離させなければならない。ただ、完璧にキレイにする必要はない。イトメを魚に与えるとき、多少の砂は混じっていても良いと教えていただいた。なぜなら金魚の祖先であるフナが自然界でイトメを食べるとき、イトメだけを食べるのではなくおそらく砂や泥を一緒に口に入れる。砂などは吐き出しながらイトメを食べるが、少なからず腸には砂が入ってしまう。
しかし、腸に砂が入ることは悪いことなのかというと案外そうでもないらしい。河邉さんの経験によると、砂が腸を通ることで、腸管内に溜まっていたゴミを掃除してくれる効果があるとのことだ。きちんと作られた人工飼料だけを食べて育つのもいいが、たまには砂でも食べさせて腸管を掃除させた方が、魚が健康に育つのかもしれない。
それにイトメの体内には必ず水を浄化する能力をもつ細菌が存在しているはずである。なぜなら、自然界でのイトメの役割は、汚い水を浄化することで、汚染水をキレイにすることで生きている。イトメを与えることはすなわち浄化する細菌を金魚の体内に入れていることに近い。毎日イトメを食べさせることで魚の腸内の細菌(さいきん)叢(そう)はイトメのもつ細菌叢に影響を受けている可能性が高い。自然淘汰の飼育方法もエサがイトメだからこそ成り立つのかもしれない。
丸鉢の秘密
丸鉢とは、土佐錦の品評会を目指す愛好家であれば多くの方が利用している容器のことで、モルタル製の丸い形をした鉢のことを指す。丸鉢自体にもある程度のろ過細菌が定着するが十分な濾過能力があるかというとそうではなく、丸鉢での飼育は毎日ほぼ全換水する必要がある。当歳魚を春から秋にかけて丸鉢で飼育することで、土佐錦の特徴である優美な尾の土台を作り上げることができる。丸鉢を円を描くようにして泳ぐときに、親骨が丸鉢の壁面に擦れることで、親骨が少しだけ体の後方に流れる。親魚になり反転した時、親骨の先端が尾付に直角の位置になる為に、丸鉢飼育をする。
丸鉢での飼育にエアレーションはない。だが、丸鉢の中できちんと土佐錦は健康に育つ。河邉さんが使っている丸鉢は全て自作のもので、設計から製作まで全てご自身で行われている。その丸鉢の容量がおよそ40リットルで、その中に自然淘汰を終えて選別した魚を35匹入れて育てる。 「エアレーションを入れると流れが出来て魚の泳ぎが水の流れに沿う泳ぎになるので余り良くないです。それと丸鉢は酸欠が起こりやすく毎日水替えをして酸欠にならないようにします。酸欠になると鰓を開いた魚になりやすいんです。」
丸鉢の内側を見ると、様々な石が混ぜられて作られたことが分かる。
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丸鉢を真横から見た様子
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丸鉢を製作するための型
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河邉さんの使っている丸鉢の構造だが、日が当たると水面下1cmのところに太陽光の熱が集まるように角度を設計して水面近くが最も水温が高くなるようにしてある。ちょうど、パラボラアンテナの要領だ。一見するとすり鉢状に見えるのだが、案外底の方は平たい構造だ。日中、水温が高くなった場所を好んで土佐錦が泳ぎ回る。底に近い部分を回るよりも水面に近い部分を泳ぐ方が泳ぐ距離が長くなるし、割と真っ直ぐ泳ぎながら回るので、きちんと真っ直ぐ泳ぐ魚を作れる。
さらに、実は、丸鉢の厚さが底の方と水面近くとでは1cm以上違っていて底の方が厚く作られている。そのため夜になって気温が下がってくると、底の方が水面よりも冷えるのが遅くて水温が高くなるので、底に魚が集まる。
このような構造にすることで、魚がじっと留まりたくなるような場所を丸鉢内に作りあげる。日中、散々泳いで丸鉢で傷つけた尾の親骨を、夜、底の方でじっとすることできちんと治癒するのである。
人間は22時から2時までの時間が新陳代謝が活発に行われるため、その時間にきっちり睡眠をとる方が良いという説がある。これは新陳代謝の活性は24時間同じではないということを示唆している。キンギョにおいても同じことが言えるかどうか根拠はないが、同じ生き物で可能性としてはゼロではないはず。夜、傷を修復する機能が高まる時間帯に、魚が心地よく感じてじっと留まりやすい環境を丸鉢の中に作ってあげることで新陳代謝の活性を高めてきちんと治してあげるというのは、理にかなっていると思う。
土佐錦の顔を細くするために
らんちゅう愛好家にはらんちゅうの稚魚に積極的にミジンコを与えて育てる。そうすることで、目先が出るらしい。
なぜなのか。
ミジンコは淡水性の生き物なので飼育槽で生き続けることができる。また、ミジンコは四隅に集まる習性がある。人工飼料とは違って生きているミジンコは逃げるので、食べようとするらんちゅうの方も必死になる。隅っこの方で逃げるミジンコをらんちゅうが食べる時に、らんちゅうは口先を壁にぶつけて傷つく。傷は自然と治癒するが、これを毎日繰り返すことでだんだん目先は肥厚してくるという。実際に河邉さんが一時らんちゅうの飼育をしていたときに角鉢飼育でミジンコを与えてやることで、立派な頭をしたランチュウを作ることが出来たそうだ。
では、土佐錦はどうだろうか。土佐錦は上から見て細くとがった三角形の形をした顔が良しとされている。つまり、上述のらんちゅうのような飼育方法(角鉢飼育で餌にミジンコを与える方法)は土佐錦の顔を作るうえでは適さない。
顔が細くなるようにするために、もちろん遺伝的に顔が細い系統を使っていることはもちろんだが、それだけではない。土佐錦に食べさせる餌に秘密がある。当歳魚のときに食べさせる餌はイトメとコケだ。どちらも細いから食べる際に口を縮めて締めるようにしなければいけない。コケを食べるためには壁面に生えたコケを引っ張ってちぎるための力が要る。イトメを食べるのにも球状になっているイトメの中から1匹を引っ張り出す力が必要だ。両者を比べるとコケは細く、イトメの方が太い。より細いコケをよく食べるような魚にしておくことは土佐錦の細い顔を作るうえで重要な要素の1つであるといえる。
おわりに
丸鉢に入っている土佐錦の様子をしばらく観察していると、イトメを食べきってしまうと群れて餌を探しに泳ぎ回る。丸鉢の中を円を描くようにして泳ぐ。たびたび立ち止まり、壁面をつついてコケを食べている。
「もともと返しが良い系統だし、そんなに一日中ぐるぐる回る必要はないんだけどね。回りすぎると鰓蓋がまくれてしまうからね。良い土佐錦を作るためにはもちろん系統、つまり遺伝的な素質をもっているかどうかという先天的な要素も重要だけど、育て方や飼育環境による後天的な要素も重要だよ。」
当歳魚の時期に丸鉢という特殊な容器で一定期間飼育することで尾を作り上げるという方法を採っている品種は、金魚の数ある品種のうち土佐錦だけだ。土佐錦という品種を確立した人や、より美しい土佐錦を作り上げるために先人たちが積み重ねてきた飼育技術やノウハウを確実に継承し、それを十分に使いこなしながら飼育して、さらにより美しく土佐錦を作るための河邉さんの独自のノウハウを、今回、惜しみなく提供してくださったことに感謝したい。
丸鉢を泳ぐ稚魚の様子
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丸鉢を泳ぐ稚魚の様子
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